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 サンクトペテルブルグ  
夏の庭園/Summer Garden
夏(8月:27℃),秋(10月:12℃)
 Летний сад
   






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【夏の庭園】・・・・・・・・
パヴィリオン、彫刻のある整形式庭園はヨーロッパで「フランス式庭園」と名付けられたが、スタンダールが指摘しているようにフランス人はこの様式をイタリア人から借用したのだ。1704年ペテルブルグに最初の庭園を建設したピョートル一世は、当時まだフランスへ行ったことはなかったが、大使節団の時代(1697-1698年)、滞在したポーランドで、アウグスト2世のフランス式庭園を見て、そのアイデアを拝借したのだろう。夏の庭園の開発はネヴァ川左岸、ネヴァ川の水がフォンタンカ川に流れ込むところからはじまった。夏の庭園の周りには、白鳥運河、モイカ川が引かれ、夏の庭園は四方を川で囲まれた11ヘクタールの島になった。ピョートル一世は庭園に約50の噴水システムを建設した。噴水の水は、フォンタンカ川岸に建てられた噴水塔のポンプによって送り込まれた。そのため、この川はフォンタン(噴水)川と呼ばれるようになった。1705ー1706年ピョートル一世の夏の住居の建設作業を行ったのは、画家イヴァン・マトヴェーエフだ。1710年代その作業はオランダ人ヤン・ローゼンに任されたが、彼の設計は、一番最初に夏の庭園を描写したアレクセイ・ズーボフの有名な版画に基づいていた。幾世紀もかけて木々が茂った現在の外観で、夏の庭園の中にピョートル一世が作ったものはほとんど残っていない。1777年の洪水で壊されたピョートルの噴水システムも、昔のパビリオンも温室も花も残っていない。しかし基本的な並木道の配置と彫刻群はピョートル一世が信頼をおいた人々によってイタリアで買い付けられてきたものだ。その中の一人ユーリー・コログリーヴォスは有名なヴィーナス像の購入に成功した。当時アンティ-クの持ち出しを禁じていたローマからこの像を運ぶために、ピョートル一世は彫像とレーヴェリで奪取した聖ブリギッタの聖骸を交換しなくてはならなかった。1725年頃までには夏の庭園の彫刻の数はおよそ200に達していた。これらはバロックの巨匠の作品群だ。現在ここに設置してあるのは半数である。最も有名なのは、「ニスタットの講話」の寓意像だ。1726年ピョートル一世の死後、ペテルブルグに運ばれた。勝利と富みを具象化した二人の女神は、スエーデンを寓意した獅子を踏みつけている。1760年代末庭園沿いのネヴァ川の川岸通が拡張され花崗岩が敷き詰められこのジャンル最高傑作となるトルコ職人によって鋳造された新しい鉄柵が建てられた。1820年代コーヒーハウスをロッシが建設し、パビリオン「グロット(岩窟)」を再建した。
-サンクトペテルブルグ(ガイドブック)-

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 夏の庭園夏(8月(27℃)


夏の庭園ネヴァ川側入口

ネルヴァ
T・K・フランドリア
1690

スラヴァ
P・ヴァラッタ
1718

ヴェローナ
A・タリアペトラ
1718

サターン
F・カヴィアンカ
1716

イヴァン・アンドレーヴィッチ・クルイロフ

イヴァン・アンドレーヴィッチ・クルイロフ

ピヨトル一世夏宮殿

平和と豊富」
(ピエトロ・バラッタ)

平和と豊富」
(ピエトロ・バラッタ)

ピヨトル一世夏宮殿

ピヨトル一世夏宮殿

フォンタンカ川

夏の庭園ネヴァ川側入口

夏の庭園鉄柵
ユ-リ-・フェルテン



夏の庭園秋(10月)(12℃)


夏の庭園ネヴァ川側入口

イヴァン・アンドレーヴィッチ・クルイロフ

イヴァン・アンドレーヴィッチ・クルイロフ

ピヨトル一世夏宮殿

平和と豊富」
(ピエトロ・バラッタ)

平和と豊富」
(ピエトロ・バラッタ)

ピヨトル一世夏宮殿

フォンタンカ川

夏の庭園鉄柵
ユ-リ-・フェルテン

夏の庭園ネヴァ川側入口


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